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    ―がんばろう神戸―その

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       16年前の1995年1月17日。
       悪夢のような、阪神・淡路大震災があった日。
       6,434人の尊い命が奪われ、愛する街・神戸がズタズタに引き裂かれたあの日から、もう16年。 …もう…16年。

       奇跡の快進撃に加わる?
       ただの1ファンである自分にできること…それは、1つしかありません。
       スタンドから、頑張れ!オーラ、を送り続けること。
       でも、昼間は仕事。夜は学校で課題制作に励み、休日は自宅で自由制作に明け暮れる…。時間なんて、ある訳ありません。
       ’95年、’96年とブルーウェーブは連続優勝、’96年には、地元神戸で念願の日本一に輝きます。
       この2年間で、自分は17回しか球場に行けなかった。2年で、たった17回。東京ドームの日本ハム戦と、西武球場の西武戦だけ。神戸にすら、行くことは出来なかった。
       これで、どこが奇跡の快進撃に加わったって言えるのか?
       
       このことは、もしかしたら信じてもらえないかもしれない。あまりにも神懸(がか)り的で、夢のような話だから…。
       2年間で、観戦した試合は、17試合。
       その勝敗、17勝0敗。勝率10割。
       勝利の女神じゃないけれど、自分が行くとブルーウェーブは負けなかった。ただの一度も。’95 初優勝の仰木監督の胴上げもスタンドで見ていた。 
       頑張れ! オーラを送りながら…全身全霊を込めて。
       奇跡の快進撃のメンバーの、最後の方にチラッと名前の切れ端でも書いてもらってもいいですよね、仰木監督…。

       その後、イチロー君は海を渡り、世界のICHIROとなり、近鉄との合併でブルーウェーブの名は消滅し、仰木監督は命を賭けてパ・リーグを救い…天に召され、球団は神戸を離れ、大阪に移転…。

       ―がんばろう神戸― いい時代だった…、野球に関しては、
       でも、2度と起こって欲しくない、16年前のような、あんな悲劇は!
      (画像の新聞は1995.1.24の朝日新聞。1996.10.25のデイリースポーツと東
      京中日スポーツです。)
      西岡民賀 * 阪神淡路大震災 野球 * 15:34 * comments(0) * trackbacks(0)

      ―がんばろう神戸―その

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         昨日の続きになります。
         
         …といっても、四国と九州のスタッフは最終便の都合があるので、途中退席は認められていました。帰らないと、逆に不自然。
         問題は、それからです。空港へ向かう人たちとは適当に別れ、三宮の駅の人波にまぎれます。試合開始には、多少まだ時間があるので、生田神社へ行き、それから東急ハンズのトイレで私服に着替えます。(ちゃんと用意してます)メガネをかけて、変装完了。(誰に会うか、わからないから…)
         三宮から、市営地下鉄でグリーンスタジアム神戸(当時)のある総合運動公園駅まで。
         それからは、至福の時間です。
         試合が終わると、三宮で阪急電車に乗り換え、梅田から夜行バスで松山まで帰り、そのまま仕事。っていうパターンが一番多かったかなあ。
         愛媛にいたら、野球を生で観戦できるなんて、まず無理です。ただし、出張と試合日程がうまく重なっての話。
         そんなことが、’93年まで続き、’94年の春に上京。
         
         そして、’95.1月17日。
         愛する街・神戸が、…あんなことに、なってしまって。

         震災が、もし1年早く起こっていたなら…。
         東京へ行くことはなかったでしょう。
         愛する神戸を見捨てるようなかたちで、あの街を去ることは出来なかったと思う。 どうしても、…出来なかったと思います。

         桜の花が咲く頃、1995年のプロ野球が開幕。
         仰木彬監督率いる、我がオリックス・ブルーウェーブは、
          ―がんばろう神戸― を合言葉に、
         まるで神戸の人たちの魂が乗り移ったかのような、奇跡の快進撃を始めます。
         そして、東京にいる自分も、その奇跡の快進撃に微力ながら加わることになります。

         また明日へ。
        (画像の新聞は、1995.1.22の朝日新聞。1996.9.24のスポーツ報知です)
         
        西岡民賀 * 阪神淡路大震災 野球 * 17:17 * comments(0) * trackbacks(0)

        ―がんばろう神戸―その

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           ブログを更新しようと、大切にしまってあった当時の新聞を出しながら…、もう、どうにも…あの頃の…いろんな事を思い出してしまって…、
           
           阪神・淡路大震災から、もうすぐ16年になります。

           6日のブログでチラッとふれました。
           上京する前、松山の某百貨店のアパレル・ブランドの店長をしていたと。そのアパレル会社は本社が神戸のポートアイランドにあります。
           スタッフ会議、研修、展示会…、当然、出張は度々あり、多い時で月に3回はあったかなあ…。
           最初は、右も左も全然わからない神戸の街も、何十回も訪れれば、だんだんその魅力もわかって来て…気が付けば、大好きな街になって…。
           といっても、あくまで出張で行ってるので、そんなウロウロする時間もあまりありません。でも、ちょっとでも時間があれば、三宮の生田神社へ行き、手を合わせ、生田神社の前の東急ハンズで画材や雑貨を買って帰り…。

           そのうち、ちょっといけないことも覚えてしまった。
           もう、とっくに時効だから、言っても大丈夫だろうな。 
           それは、野球観戦です。
           単なる野球観戦ではありません。飛行機の最終便に間に合わないからと言って、スタッフ会議を途中で抜け出しての野球観戦だから、バレたらただじゃ済みません。

           長くなります、続きは明日へ。
          (画像の新聞は、1995.1.21の朝日新聞。1995.9.20の日刊スポーツです) 
          西岡民賀 * 阪神淡路大震災 野球 * 17:30 * comments(0) * trackbacks(0)
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